日本導演市川崑昨日逝世,享壽92歲。
市川崑生於1915年三重縣,最先在東寶卡通攝影棚工作,第一部執導作品是「小熊維尼太陽」,3年後以「緬甸的豎琴」揚名國際,該片描述日軍出家為僧彈豎琴為戰場亡魂超渡,當年震驚影壇。此後市川崑和黑澤明、木下惠介、小林正樹並列為日本影壇四騎士。
他對台灣觀眾最深的影響,來自於80年代初期的金馬國際影展,他執導、吉永小百合、岸惠子和古手川祐子等超級大牌明星合演的「細雪」,曾經吸引許多很少出門的老影迷出來排隊搶票,讓西門町戲院大排長龍。
「細雪」刻劃四姊妹的情感,在傳統日本文化中包容含蓄內斂的人性。後來澤口靖子演的「竹取物語」雖然添加科幻色彩,「四十七人刺客」以劍俠為背景,但都一本初衷,將市川崑洞悉人情世故的特色表露無遺。
猶記市川崑1994年帶「四十七人刺客」參加威尼斯影展,他戴著墨鏡和宮澤理惠、高倉健漫步海灘,遇到狂拍理惠的台灣記者,雖然用日文半開玩笑低聲罵「傻瓜」,但像鄰家慈祥的伯伯。
【聯合報╱記者葛大維/綜合報導】 2008.02.14
映画監督の市川崑さんが死去 戦後の日本映画界をリード
2月13日18時52分配信 産経新聞
「ビルマの竪琴」「東京オリンピック」などで知られ、戦後の日本映画界をリードしてきた映画監督の市川崑(本名・市川儀一)さんが13日午前1時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。92歳だった。
市川さんは大正4年11月20日、三重県宇治山田市(現伊勢市)で生まれた。幼いころは画家志望だったが、伊丹万作監督の「国士無双」(昭和7年)に感動。映画の世界で働くことを決意する。8年に入社したスタジオでアニメの企画、脚本、作画、撮影などを一人で担当したことがその後の監督生活に大きく役立ったという。
23年に「花ひらく」でデビュー。「三百六十五夜」(23年)、「夜来香」(26年)などのメロドラマから、「足にさわった女」(26年)、「プーサン」(28年)などの風刺コメディーまで幅広いジャンルをこなした。
名作「ビルマの竪琴」(31年)では、水島上等兵の生き方が人々の共感を呼び、60年には再映画化。「29年前には成し得なかった海外ロケとカラーで撮りたい」という市川さんの強い希望があった。同作品でベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞受賞。米アカデミー賞外国語映画賞候補にもなった。
大映に転じた30年代も「鍵」(34年)、「黒い十人の女」(36年)など秀作を世に送り、初のドキュメンタリー「東京オリンピック」(40年)で市川の名は日本中に親しまれた。150台のカメラで選手の表情や動作を追い、五輪を人間賛歌ととらえて「記録か芸術か」の論争も巻き起こした。映画は空前の大ヒットとなり、その後の五輪映画に大きな影響を与えた。ミュンヘン五輪の記録映画「時よとまれ、君は美しい」(48年)でも世界10監督の一人に選ばれ、陸上男子百メートルを担当した。
横溝正史原作の「犬神家の一族」(51年)では金田一耕助ブームを起こし、その後も多くの監督によって製作されたが、シリーズ最高傑作の呼び声が高い。「細雪」(58年)など文芸作品でも独特の映像美とカット割りを見せた。
90歳を迎えた平成18年には石坂浩二の金田一耕助で再度「犬神家の一族」をリメーク。健在をアピールしていた。
私生活では、脚本家の和田夏十(本名・市川由美子)さんとおしどり夫婦として有名だったが、和田さんを昭和58年に亡くしていた。ヘビースモークがトレードマークだったが、晩年は「あと1、2本は映画を撮りたいから」とたばこをやめていた。
產經新聞 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080213-00000981-san-ent
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